田無特別支援学校は1990年4月に開設された、高等部だけの知的障がいの特別支援学校です。学区域は西東京市を始め、武蔵野市、小金井市、小平市です。
校長先生と副校長先生が、丁寧にじっくりと話しをしてくださり、質問にも答えてくださいました。
学校ができた20年前は、反対運動が起きたこと、現在様々な取り組みを実践しながら、地域の方に理解を得て学校運営しているとのこと。学校の施設を一般解放したり、生徒が作った野菜や花を安価で販売をしたりも取り組みの一例なのでしょうね。
現在、知的障がい児は大変な勢いで増えていて、田無特別支援学校では、教室を確保するのに苦慮しており、来年度はカーテンで間仕切りするようにでもしないとダメかもしれないとのお話しでした。生徒と保護者、先生方の1番の心配ごとは、卒業後の就労のこと。
就労の場所が少ないうえに、いままで手厚くされていた支援が途切れ、トラブル等があったときなどには、卒業生が相談にくるのも珍しくないそうです。
1年に二度、1月と6月に同窓会を開催して、少なくとも卒業後3年間は支援をしているとのこと。就労の場も年々少なくなっていくので、就労担当の先生が一生懸命開拓していが、どこか受け入れてくれるところがあったらぜひとも紹介して欲しいと何度も言われていたのが、事の深刻さを物語っていると思いました。その後校内を見せていただくと特別教室を普通教室に転用しているケースがたくさんありました。教室の一部にクールダウン(感情が高ぶってしまったときなどに、一時期に一人になって感情の高ぶりを抑えること)する居場所が作られていて、細かな配慮が感じられました。以前、関西の公立小学校のクラスにクールダウンする場所が作られていたと聞いたことがあります。今どきは一般の学校にも必要かも…と思ったりしました。
清掃の仕事も学ぶ授業があると聞いて、「うちの子どもたちにも受けさせたい…いや学ぶべきは私自身かも…」などもと思いました。
実は何日か前に偶然会った友人が、同校の給食の仕事をしていて、学校の話しを聞いたばかりでした。「(生徒さんは)みんな可愛いよ。」と笑顔で語る友人は、学校を支える仲間であり、良い理解者であることが伝わってきました。それでもたまに地域では、生徒の特性を理解されずに、「お叱りの電話を受けることがあります。」と校長先生がおっしゃる言葉には胸が痛くなりました。
もちろん注意をしないといけないこともあるでしょうが、手助けが必要な場合もあるでしょう。彼らが「特別な支援」を必要としているのは一般の社会のなかでも当然のこと。田無特別支援学校に通ってくる生徒たちが、安心して安全に通学できるように市民として見守っていきたいと思いました。「特殊」。「養護」。当たり前の普通の言葉に、差別や偏見がベッタリと貼りついて来た時代はもうおしまいにしたいものです。
(石田ひろこ)