市民政治のバトンをつなげて~自分が動いて変えていこう~ 2代目代理人鈴木美紀さん

シリーズ【市民政治のバトンをつなげて】2人目は2代目代理人鈴木美紀さんです。

1,代理人(市議会議員)になったきっかけは?

ー1人目の代理人である坪井さんの選挙の時に、選対に関わったの。それが「選挙」というものに携わった第一歩。あの頃は「誰もが出来る時代」だったのよね。ちょうどその頃、私は生活クラブの支部委員長をやってたんだけど、「支部委員長も代理人も皆同じ。単なる役割分担なのよ。」と常々みんなに言ってました。それが坪井さんが2期目途中で市長選に挑戦することになり、新たな代理人を探すことに。その時に「『支部長も代理人もみな同じよ』と言ってたわよね。美紀さん、役割が回ってきたわよ」って(笑)

それと、あの頃チェルノブイリの原発事故があって、遠い日本でも放射能の話題がたくさん出てきてね。でもいくら周りで心配して色々言っても何も変わらない。これは決定機関に自らが入っていかないと物事は変わらないんだと実感したんです。そういうこともあって代理人になりました。

2,代理人(市議会議員)時代の思い出は?

ーあの時はまだ保谷市だったから、私は保谷市議会議員だったんですが、議会がとにかく長かった。まだ一問一答制度もなかったからね。

私が議員になった初めの頃、社会福祉法人機関設立のために他党とも協力、東奔西走してようやく実現にこぎつけたんだけど、すごく大変だった。もうこれは絶対に忘れられないわ。本当に大変だったんだけどね、あの頃はまだ市の職員も自分の考えがあったし、自分事のように考えてくれる議員も多かった。今がそうじゃないって言ってるわけじゃないのよ、誤解しないでね(笑)

ほかにも、さっきも言ったけど、とにかく採択が長くて徹夜なんてザラ!徹夜明けのその日に視察、なんてこともあったしね!いやー我ながらよくやってたわ(笑)私はね、小さい頃から大して勉強してこなかったんだけど、40で議員になって、本当にこの時が人生で1番たくさん勉強したと思います。まあ人生で1度くらいは一生懸命勉強する時があってもいいよね(笑)

3,現在はどんなことをやっていますか?

ー40歳から10年間代理人をやった後、2000年に保谷町にコミュニティー・レストラン「木々(もくもく)」を立ち上げました。気軽にご飯を食べたり、子育て相談したり、政治談議をしたりする、みんながワイワイ集まれる場所が欲しかった。あれから紆余曲折を経て、今も同じ場所でコミュニティ活動を中心に元気に動いています。

4,「代理人(議員)」であったことが自分の人生にどうつながっていますか?

ー「市政」の決定場である議会で活動していたあの頃と、地域に根差した「まちづくり」をしている今、これはステージが変わっただけでやっていることは同じだと思ってます。ただ、今の方が「実際のところを知ることが出来て、そこから出てくる政策提言などが出来る、実際の声を市政に届けられている」という実感があり、充実しています。でもね、これは私だけが感じるのではなくて、本当は市民一人ひとりが感じてほしいことなの。そうやって感じてくれることで「市民自治」が出来上がってくるんだと思う。

 

いつ会っても元気はつらつな美紀さん。いつでも味方になってくれる美紀さん。美紀さんと話しているだけでこちらまで元気になってきます。代理人時代のお話も美紀さんらしくて、とても楽しく取材させて頂きました。美紀さんに会いたい方は事務所隣のコミュニティー・レストラン木々にいらしてくださいね。