8月6日 原爆の日に想う

1945年8月6日、広島に原爆が投下されました。私は26歳までずっと広島県呉市で過ごしてきました。両親は今も呉で暮らしています。私の父は、原爆投下当日、予定の電車に乗り遅れ被害を免れることができました。母も竹原の田舎で暮らしていたので、実は、被害にあわれた当事者の方々の深い傷は想像するしかありませんでした。先月私は、胎児性水俣病患者さんから子どもの頃に受けた大人からの言葉による誹謗・中傷やそこで暮らしていくなかでの様々な葛藤などを直接お聞きし、「被害者の精神的な影響」は想像を超えるもので、決してそのままにしてはいけないと強く思ったところでした。今日の広島市長秋葉忠利氏の平和宣言で、2か年かけて、原爆体験の精神的影響などについて、科学的な調査を行うと聞きました。原爆投下から63年たった今もなお 深い傷を負ったまま生活をしなければならない人が大勢いる。その一人ひとりの人生は取り戻せない。しかし、より深く原爆の影響を調査することで、少しでも早く良い方向に支援の対策を進めてほしいと思いました。

さて、芝久保町では、昨年末に「戦争は反対、平和を守ろう」と有志での話合いが始まり、今年から月1回集まって意見交換を行っています。6月には中島飛行機製作所で空襲を直接体験された方からのお話を聞きました。西東京でも16回も被爆したということや、4月12日(西東京平和の日)には田無駅前へ1トン爆弾の大被害を受けたなど初めて聞く事実に唖然としました。私も含め、何事もなかったようにその地の上で暮らしているひとが大勢いるということを思うと、事実を語り伝えること、そして平和について考える機会を意識的に作っていかなければいけないと改めて思いました。

原子爆弾の惨禍を経験したからこそ、地球上から戦争を撲滅させ真実の平和を確立すること、核兵器の廃絶をすすめ、二度と過ちを繰り返さないようにと世界に向けても日本はリーダーシップを取るべき責務があると強く思います。
人権を尊重した平和主義的運営が行われているのかと疑問に思わざるを得ないような社会状況だからこそ、私たち一人一人が過去の事実を知ることころから、未来を考える。せめてこの時期、いろんな角度から歴史を振り返り、ひとりひとりの平和宣言がされてほしいと思います。原子爆弾の惨禍を経験した国の人間として。

板垣洋子