「東京自治研究センター2011まちづくりウォッチング」に参加しました。2日目

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山元町の案内板
山元町の案内板

「東京自治研究センター2011まちづくりウォッチング」二日め。南相馬市役所で、YouTubeで有名になった桜井市長のお話しを伺いました。「市民の心がズタズタになった。東京電力が事故を起こした後、海外のマスメディアは線量計をつけて取材をしたのに、日本のマスコミは3月いっぱいいなくなった。逃げたマスメディアとして臆病者扱いしている。自分たちが勝ち誇ったような報道をなぜするのか、東電がスポンサーではないのか、本来解決すべきは放射能から守るのが使命ではないのか、一番の使命は「除染」である。国の遅い手だてを待っていては住民が苛立つだけ。全く違う発想で新たなまちづくり。原発に頼らない政策が必要。」等々、淡々と話され、時には笑顔を浮かべながらも、抑えた静かな怒りも充分すぎるほど伝わって、原発事故と国の対応にわたしも歯ぎしりしたくなりました。次は、新地町へ。 「亡くなったのは110人、うち10人はまだ見つかっていない。常磐線の駅は津波で流された。瓦礫はほとんど片付いたが、放射能の関係でその後の処分ができずにいる」等々の話しを伺いました。「復旧しても復興できない」との言葉にまたため息がでました。

お昼ご飯は、相馬市の割烹でいただき、お土産を買いました。久々に売店の電気をつけた(営業をした)、とのことで私達が帰るときは「ありがとうございました」とある横断幕を持ってお見送りまでしてくれて、恐縮しました。

最後に寄ったのは、常磐線の山元駅(跡)。バスで着いたときには、誰もが「堤防かと思った……。駅だったんだ、ここ……。」と、絶句しました。唯一残されたトイレもホームから見ると中がボロボロ。周辺も当然のごとく、建物の土台だけが、整然と並んでいました。建物が根こそぎ流されるのでは、人間もひとたまりもないだろう、とまたため息……。

今回のツアーに参加するにあたり、実はかなり覚悟が必要でしたが、実際に訪れた被災地はすでに瓦礫が片付き、ある程度落ち着いているようにも見えました。出会った皆さんも静かに怒りを抱えながらも、前向きで頭が下がりますが、「帰りたい」と涙ぐまれた思いに、原発事故への怒り、後悔などが交差します。

わたしは何をすべきなのか。今回のツアー主催の、東京自治研究センター副理事長の木下さんが始めに話された「(まちづくりウォッチングに参加して)議会なり、研究機関なり、それぞれのポジションで発信できればと思います。」というように、西東京のまちで、防災計画の見直しや国への脱原発の働きかけなど、やるべきことを積極的にすすめて行かなければと強く思いました。

今回のツアーでお世話になった皆さん、ありがとうございました。

(市議会議員・石田ひろ子)